退院後、6日間だけ自宅に帰ってきてくれた父。
短い帰宅でした。
その6日間は、父とのかけがえのない大切な時間になりました。
3日前まで、居てくれたのに、もうずっと昔のことのよう。
夢か幻を、見ていたような気さえします。
父は、亡くなったのではなく、再入院しただけなのに。
いなくなって寂しいです。
入院しても、また元気になるかはわからないとお医者様は言われました。
幸運に、もう一度退院できても、老後施設に入居になります。
もうこの家には、二度と帰らないでしょう。
父は、4月18日の夕方、点滴をしたまま救急搬送されました。
父が乗せられた救急車が動き出す頃、雨がポツリ、ポツリと降り始めました。
長く住んだこの場所と、私達家族への、父の別れの涙だったのかもしれません。
ケアマネージャーが用意してくださった、介護ベッドとリクライニング式の車椅子。
車椅子の方は、一回だけ、デイサービスに行く時だけしか使われませんでした。
今月中には、引き取りに来られると思いますが、父が使っていたモノ、特に大型のモノが無くなってしまうと、また寂しさが増すのではないかと思います。
父の誕生日は、4月19日でしたが、昨日、一日遅れで、あんぱんをつくりました。
19日は、パンをつくる気も、ピアノを弾く気もなかったです。
父は、お餅とか、甘い物が大好きでした。
だけど、2月の入院以降、父はペースト状のモノを誰かにスプーンで食べさせてもらわなければ、食べられない人になっていました。
なので、あんぱんをつくっても、父に食べてもらうこともできないです。
元気な頃だったら、喜んで食べてくれたのに。
4月18日に、父が再入院した病院は、二カ月余りお世話になっていた病院です。
以前の父の状態がわかっているので、心強く、ありがたく思います。
しかし、この病院は、コロナで面会ができません。
オンライン面会はありますが、耳の遠い父には、画面を通してでは聞こえないのです。
いちいち、看護師さんが、父の耳元で私達の言葉を再度伝えて下さって、やっとわかる程度。
その後に入居するだろう老人施設は、面会のできる施設であってほしいです。
たった5分でもいいから、直接、父の顔が見られて、話しかけることができたら、どれほどいいだろうと思います。
お父さん
今日は、どんな風に過ごしていましたか。
病院に運ばれて三日ですね。
少しでも、良くなっていることを願って止みません。
100歳まで、生きてほしいけれど、無理は言わない。
一日でも長く、生きてください。
お父さんの大好きな新聞が読める毎日が来ることを、祈っています。
今日は、朝から、ひとりジャンカラに行ってきました。
一か月以上ぶりでした。
たくさんの歌を歌いました。
- 郷ひろみ「哀愁のカサブランカ」
- チューリップ「心の旅」
- ジョン・レノン「Imagine」
- 鈴木聖美「TAXI」
- 松田聖子「瑠璃色の地球」
- 高橋真梨子「for you...」
- チャゲアス「エピローグ」
- 桑名正博「月の灯り」
- 谷村新司&小川知子「忘れていいの」
- 保科有里「終止符(ピリオド)」
- 竹内まりあ「いのちの歌」
- 西城秀樹「らすと・シーン」
12曲ですね。
もっと歌った気がします。
ご訪問、ありがとうございます。
よい週末をお過ごしください。