一時立てなくなっていた母は、あれから急に回復して、デイサービスに行けるまでになりました。
以前のように、色んな料理を作るとまではいかなくても、簡単なうどんとか。
出来たモノを冷蔵庫から出して食べることはできます。
洗濯機も自分の洗濯物を、回せるようにはなりました。
心房細動うっ血性心不全。
そして、たん白尿。
と診断された母は、医師から「減塩」を言われています。
ところが、時々、夕食を食べたにもかかわらず、21時や22時前になって、四食目を食べることがあります。
昨日もそうでした。
調理前のチキンラーメンや、なんとカレーのルウを、水で薄めることなくそのままの塊を、ご飯と食べているのです。
びっくりしました。
こちらが注意をしても、
「食べたいものが食べたい」
とか、
18時に夕食を摂ったことを、
「覚えていない」と平然と言って、食べ続けています。
翌朝、深夜に四食目を食べたことを、
「全く覚えていない」
「止めてくれたらいいのに」と。
止めても聞かなかったくせに、どの口が言うのかと、呆れかえります。
そこでふと思ったのは、病気を治す気が無い人に、薬や病院ってあるものなのでしょうか?
薬や病院を利用する人は、
少しでも体をよくしたいと思ってる人、
でなければならないのでは?
治す気が無い人が薬を飲んだって、意味がないのでは?
と、母を見ていてつくづく感じました。
生活の中の様々な事柄で、常に私が嫌がることばかり行う母。
何度言っても聞きません。
来る日も来る日も、母の嫌がらせに耐えることを余儀なくされる。
認知症以前に、母が持っている性格が、素直でやさしい人柄では全くない。
この辺りまで来ると、老人施設に入居してもらわないと、働き手である家族が疲弊する。
しかし、すぐに入居できる施設は、なかなかないのが現状。
病院のベッドの数も老人施設も、需要と供給のバランスが取れていない。
7月までは、デイサービスに行く日だとわかると、母は自分で行く用意をしていました。
行く日でなくても、行く用意をすることも多かったです。
なのに、昨日は行く日だと理解できないのか、用意してると思っていたら、母はベッドで寝ていたり。
母のデイサービスの日は、月曜と金曜。
それを、大きな字で書いて貼り出してあります。
しかし、母はその曜日を覚えることができない。
今日が何曜日かもわからない。
服だけ着替えて行けばいい状態で。
バスタオルなども持ち物は、すべて準備が整っていました。
しかし母自身が、慢性的な下痢。
それで着替えることになったのです。
お迎えの方が来られ、待っていただくのを私のせいにする・・・。
何度介護パンツ、介護パットを着用するように言っても、母はする時としない時がある。
しないときは、頻繁に下着が汚れる・・・。
その繰り返しの歳月でした。
来週から、私は派遣の仕事に出ることが決まったので、デイサービスの日の朝だけ、母の支度の手伝いをしてもらえるヘルパーさんに来ていただこうと思っています。
母と少しでも接触しなくてすむ方法を取ることが、お互いに最善の策。
人間らしく生きるって、なんだか難しく感じてきました。
愚痴モードになってしまいました。
起こったすべての物事は、良き方向に向かっていると信じています。
ご訪問ありがとうございます。
よい一日を。