そこに、十二神社という神社があります。
防空壕がある神社です。
↑ この写真左手の「十二宮神社境内防空壕跡」という案内板には、
この地域は大阪大に飛行場(現、大阪国際空港)に近く、太平洋戦争の激化にともない空襲の可能性が強くなり、この防空壕は地域住民の避難場所として、旧北今在家町、北轟木町、西市場町の人々の手によって、昭和18年につくられました。
とあります。
防空壕の大きさは、おおよそ長さ 10メートル、幅3メートルから4メートル、高さ2メートルのコンクリート製で、30人程度の人が避難出来る大規模なものでした。
危険防止のため、内部は埋められています。
80年前、近隣住民の方々は、どんな思いでこの防空壕に駆け込まれたのか。
時間が止まっているような、静かで穏やかなこの場所で、頭の中を「無」にして。
しばらく風と、樹木の葉の揺れを感じていました。
大きな樹木がたくさんあって。
この樹木たちは、80年前、この防空壕が作られた頃を、よく知っているのだろう。
知らないのは、私だけなのだろう。
と思いました。
今、時間が沢山できて、行ったことのない場所に行くこともできる。
時間があるって、なんてありがたいことなのだろうと感じています。
ご訪問ありがとうございます。
良い一日を。