私の母の兄、私からみると伯父が亡くなったという連絡がありました。子供の頃、夏休みになると、数日間、母の故郷に帰っていましたが、いつもやさしく声をかけてくれた、明るい伯父でした。
両親ともに高齢すぎて、お葬式に行けないので、私が行くことになったのですが、
一昨晩、その訃報の電話を受けた母は、昨朝、私に行ってほしいと言ったり、コロナだからお葬式はないと言ったり。言うことがわずかの間に、コロコロ変わりました。
それで、連絡をくれた、私の従姉に、昨晩、私が連絡しました。従姉と話すのは、久しぶりでした。お葬式の日時や場所を確認しようとしたところ、大阪では家族葬だけで、誰も呼ばないので、気持ちだけで、来なくていいよとのこと。伯父は、診てもらっていた病院は大阪でしたが、ずっと田舎で住んでいたので、田舎で正式なお葬式をするそうです。
私の母は、相当高齢者ですので、もう様々なことが、わからなくなっています。生活の色んなことにおいて、説明も曖昧ですし、それはもう仕方がないことです。老いる前から、説明が曖昧だったり、二転三転することがある性格傾向でしたし。
母は、お葬式には来なくていいよという電話を受けたのに、どっちかわからなくなったようです。母から、お香典も預かっていたし、お葬式に行く心づもりをしていたので、それ自体が無くなって、昨晩は、なんだか、気が抜けてしまいました。
ふと、人生の転換期には、家族や親せき、近しい人が亡くなるということを、どこかで見聞きした記憶を思い出し、ネットで調べていたら、↓こちらのサイトに出会い、とても共感できたので、シェアしたいと思います。
もう自分とは合わないのではないか、と感じている物事とか、はっきりと、もう手放そう!と決めた事柄。そういう時、「宇宙からのお試し」がやってきます。「お試し」は、手放した物に似たことがやってくる。
先月頃から、しようとしても、直前にキャンセルになったり、やや困難な条件が必要になったりして、結局はできない、という状況が多発しています。
リンクのなおさんの記事を読んで、「私は真面目に対応しようとやってるつもりだったけど、無駄な抵抗をしていたな・・・」と。「もうすっぱりと、手放す時なんだな」と。気づかせてもらいました。
想えば、これまでも、人生の中で、このようなことはたくさんありました。特に仕事に於いて、感じてきました。法則のようになっているのですね。
なんの根拠もなくても、この先なにができるかわかんなくても!!!
わたしはこれはもう絶対合わない!!やらない!!
って硬く決めることが必要なんです。宇宙に宣言するつもりで。
(決めたら、宇宙は期待以上の道をみんなにちゃんと用意してくれてますよ♡おめでとう!!本来の道へ!!というお祝いいっぱいです。)
「 理由①宇宙からのお試し」より引用
宣言することって、大事なんですよね!
結論、また誘われても、誰にも遠慮なく断りましょうね♡
断った時、罪悪感や(お世話になった人の場合特に!!!泣きそうになります)、自己嫌悪や、不安がどっと押し寄せてくる場合も多々あります。
それでも断らないとまた同じ道の悪化バージョンで、もっと心身ズタボロになって、
再起に時間がかかるので、
世界に1人だけしかいない、あなたの才能を幸せに元気に咲かせるために、
判断軸はあなたの気持ち100%!にしてくださいね。
自分の幸せのために、宣言し、決断する。大事なことですね。できそうで、できにくい。でも、やらなければ、前に進まない。幸せのために、私は、手放し続けます。
なおさん、気づかせてもらって、感謝です!
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